人生の難易度
哺乳類のオスは基本的にハードモードではある。重婚が厳しく制限されたソサエティに属するヒトの場合は「自由恋愛による性選択で強烈な性淘汰が発生する上に資源(資金)の調達だけではなく家事育児も当然のように担わなければならない」という社会的要請がある以上は、「男に生まれてしまったら基本的にハードモード(ただし、総合スペック上位10%の男は除く)」とも言える状況かもしれない。
女性の場合はどうか。これはもうどうしようもない哺乳類の定めというものなのだろうが、容姿や能力がどんなに劣っていても男性と違って「若ささえあれば繁殖のチャンスはいくらでもある」という圧倒的なアドバンテージがある。 哺乳類のように生殖の際に適応度を犠牲にするコストに圧倒的な性差がある場合については、コストを払う方の性別は絶対に性淘汰を受けない。
まあ私の場合は育児に掛けるコストが専業主婦の妻よりも多かったりするんですがね(損しかしていない)。
今の若い世代(私も含む)にとっては、「ジェンダー平等」が掲げる内容に女性を有利にするような項目が多く含まれているように感じられ、違和感を覚える人も多いのではないだろうか。
私の理想の男女平等は「体力差を考慮した上で微調整を加えるが、基本的に夫婦、男女の社会や家庭への貢献量を等しいものにし、その報いの過多も性別によって差を設けない」といったところだ。 が、無理だろうな。適応度のコスト差によって生じる「選別される側(男)」「選別する側(女)」の立場は絶対に変わることがないだろう。
それはさておき。
命懸けでプレイしなければならない「人生」というゲームにおいて、生まれつきイージーモードのプレイヤーに対して不本意にもハードモードでプレイするはめになったプレイヤーが負の感情をため込むのは自然なことだとは思う。
重要なのはやはりこのシビアなゲームの基本的なルールであるところの「男は選別・淘汰される側、女は選別・淘汰する側」というものにいかに早く気付けるか、だと思う。
女性は結婚適齢期までに「自分は選別する側であるという圧倒的に有利な立場である」ことに気付くことが重要。未婚のシングルマザーになっても今の社会保障制度の下では贅沢しなければ十分に生活できる。多少社会保障にフリーライドする覚悟を決めれば、極めて容易に質の高い子孫を得ることができるということ。
男性はできるだけ早く「選別される側であるという圧倒的に不利なロールである」ことに気付くことが重要。女性から「良い遺伝子を持っていない」とみなされるような外見の場合、人一倍の努力をしなければ性淘汰されてしまうリスクがある。
理想はやはり「万人に完備情報ゲームとして人生をプレイしてもらう」ことだろう。最低限、ヒトにおける性的対立や配偶戦略については思春期を迎えるまでに周知しておくべきだ。
性愛の綺麗事を信じて性淘汰されてしまう純真無垢な男性達をこれ以上見たくはない。
私自身はなんとか社会でうまくやっていける程度の知能と容姿で生まれてきたので、男に生まれてしまったことについては特に不満はない。配偶者の選択に多少慎重さが欠けていたのは否めないが…。
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updated at : 2022-07-11 16:15:20
author : Toshiaki Yokoda